尚、このコンテンツは、さとうゆうじ 氏が街頭演説で訴えた言葉を整理したものです。
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#仙台市議会議員選挙 #仙台市議選
#太白区
https://small-things-make.com/satouyuuji-senndaisi-taihakutyou/2023/07/28/
「地元じゃない地方選挙でも何かできることはないか?」という想いから、当コンテンツをつくっています。
ただし、文章だけで実際の街頭演説は表現しきれるものではありませんし、文章に整理したために氏の真意とすこし違っているかもしれません。
また、非公式のためご本人の確認は得ていません。
尚、関係者の方からご意見があった場合には、速やかに修正・削除も含めて対応しますので、ご連絡いただければ幸いです。
日本人の幸福度が低い!?
私は、宮城県仙台市太白区の秋保町という場所で生まれ育ちました。
秋保町でもかなり山奥の大滝という滝があるあたりです。
大学までは仙台で暮らし、その後20年間、東京で仕事をしました。
自分も将来はやっぱり田舎に暮らしたい。
子供と一緒に田舎に行きたい。
そういう思いをずっと持っていました。
一時、アメリカに何年か住んだ後、7年前に生まれ故郷の秋保町に戻りまして、今、両親の近くで暮らしています。
アメリカへは、日本人の幸福度の感覚と、欧米の感覚の違いを見に行こうと思って行ったんです。
国連が毎年発表する幸福度ランキング、日本はいつも40位とか50位とか世界で見たらすごくランキング低いんです。毎年下がり続けている。
日本人は礼儀正しく思いやりがあって、日本は2000年も続く歴史・文化があって、経済力・技術力・真面目さ、素晴らしい事がたくさんある。
財布を落っことしても戻ってくる国なんか、ほとんどないですよ。
日本人の幸福度が低いなんておかしいと思って、どこが違うのかいろいろ見てきました。
壁を乗り越える力【自己肯定感】が低い日本人…なんとかしなきゃ
私は子供の頃、夏は川に潜って魚を刺して捕まえるとかして遊んで、冬は近くの山でスキーとかソリとかで遊んだんです。
学校の授業もそんな感じで遊んでたもんですから、1週間のうち3日ぐらいは冬は雪山に行って、夏は川で遊んでとそんな風にしてた記憶しかなくっていつ勉強したのかよく覚えていないくらいです。
それで何か人生で困ったかというと、そういう記憶もほとんどないんです。
逆に、自然でのびのび育ったおかげで、かなり思考も柔軟になりまして、何か壁にぶち当たった時でもそれを乗り越える柔軟性とか心の強さがありました。
ある時、私が小学校の3年生ぐらいの時に、家族でどこかに行く途中の車の中で、「僕は将来金持ちになる」ってなぜか言ったんですね。
皆さんが親だったら何と言いますか?
「その前に勉強しなさい」「そのためにはこうしなさい」とか言うかもしれませんが、うちの母親は「祐二ならなれる」って言ったんです。
それ聞いて私はもう「僕はなれるな」と思ってやってきた。
今から思えば、自己肯定感とか自尊感情という気持ちだと思うんです。
そんな風に育てられて、すごく自己肯定が高くなりました。
「自分が大好き」とか「自分には価値がある」とか、「自分は出来る」と思う気持ち。
自己肯定感って本当に大事で、いろんな問題があってもその時に乗り越える力になるんです。
自己肯定感を高めるのは、子供だけでなく大人にもすごい大事だと思うんです。
実は、自己肯定感は10歳までに大体決まっちゃうと言われてるんです。
今の日本では、すぐに出来ないことを指摘しちゃったり、同じことをやらせようと強制しちゃったりする。
そうじゃなくて、上手くいってることを褒めたり、頑張ってるその頑張りそのものを褒めたり、あるいは「いるだけで良いんだよ」と存在そのものを認めてあげたり、そういった所から安心感・自己肯定感・「自分は出来る」といった力になってくるんだろうと思うんです。
この何ヶ月か、長町駅や南仙台駅で朝7時から8時半ぐらいまで毎日立ってたんですけれども、ビックリするのは、子どもたちはニコニコして「おはようございます」と答えてくれるんですが、”良い大人”と言われるような方々は、まるで見えてないかのように無視するんです。
これ普通なんですかね?
それどころか、会社に行くのが苦痛のようなすごい憂鬱な顔をされてる方が多い。
日本を何とかしなきゃいけない。
「自分だけ幸福」じゃ我慢できなかったから
私は実は、政治家を目指していたわけではありません。
私自身は自分の会社を経営していればそれでハッピーになれたんですけども、やっぱりそれじゃ我慢できなかった。
人には段階があると言われます。
1つは依存から自立という段階、まず自分で立ち上がる段階。
自立したら自分が良ければもう良いかと思ったら、これはまだ途中ですね。
自立から次は貢献という段階が大事なんです。
私たちは皆それぞれ持ってるものも違えば、個性も違えば、才能も違うので、自分の持ってる範囲で良いんです。
みんながみんな政治家になる必要はないんです。
持っている範囲で出来ることはあるんで、とにかく解決策のために何が出来るかなと考えることが大事ですね。
私はみんなの幸せのために、健康でゆとりある生活ができるように、サポートする仕事をずっとやってきて30年になります。
やっていくと色んな面で、究極的にやっぱり政治的な問題になるんです。
仙台の前は千葉県の船橋にも住んでたんですが、ここでは1000人ぐらいの子供たちがいる学校のPTAの会長を4年ぐらいやりました。
そこで初めて分かったのは、教育ですら政治問題だということ。
市長がどれだけ子供たちに対して意識が高いか低いかで、子供たちに対する様々なサービスや教育の内容について、実は市長さんがもしかしたら7割8割握ってるということを実感しました。
政治が子供たちの教育とか毎日の生活にいかに影響があるかというのを知ったんです。
だけど、自分が政治家になろうとは全く思ってなくって、民間で出来ること、自分の身近なところ、秋保町に住んでいましたから秋保の問題を解決しようと。
そういうことで、アメリカから日本に戻ってきて秋保に住み始めたら、いろいろ不便なことがあったんです。
例えば、子供が学校に通うのにバスがなかったんです。
2時間に1本走るか走らないか。土曜日なんかは1日で2本ぐらいしかバスが走らない。どんどん減便されている。
それで親が送迎をする家庭がたくさんあることに気づきました。
だけど、東北の人は我慢強くて我慢することに慣れてるんで、誰も問題があってもそれを解決する必要性を感じてない。
ですが、私は問題があったら解決せずにはいられないんで、これで不便だということで、町内会の皆さんと協議しながら団体を立ち上げ、仙台市と交渉した結果、「ぐるりん号」という200円で乗れる乗り合いタクシーが今、秋保で走っています。
そうやって、政治家にならなくても解決はできますが、でもやっぱり政治家というのはもっとやれる範囲が広がる。
だから私は政治をやろうと思っています。
おかしな事を我慢できない!諦められない!
最近、なんか日本がおかしい、世界がおかしいと感じた人は多いんじゃないでしょうか?
どんどんどんどん変なことが進んでいく。大変なことが決められてくる。
その時、何種類かの人間がいるんだと思います。
そのおかしな事に乗じてお金儲けしようとする人。
おかしい事に反対しようとする人。
おかしい事があっても無視したり諦めたりする人。
おかしな事があった時に諦められない人。
そういう諦められない人たちが、参政党には多いんです。
私も、ものすごい憤りを感じました。
子供たちの思い出・時間・人生が奪われてるのが許せなかった。大切な思い出の修学旅行とか、学芸会とか様々な行事とか。
健康の問題だったらしょうがないですが、世界から見れば健康の問題というよりはこれはもう完全に政治的な理由だということが明らかだった。
それが我慢できなくて、「なんとか世界を少しでも変えたい」という想いで立っています。
今、参政党の仙台市太白区担当ということで、長町駅、南仙台駅、茂庭交差点などで色んな方とお話したり、あるいは一軒一軒訪問させて頂いていろんな方々のお話を聞かせて頂く機会があります。
そんな中で、仙台市が抱える問題が、私が知らなかったことも含めて分かってきました。
子育て世代は、子供たちの不登校・イジメ・進学の心配があります。
働いている方々は、「一生懸命働いてもなかなか生活が楽にならない」「働いて給料が上がるよりも物価の方が先に上がって全然楽にならない」という声をよく聞きます。
特に、福祉関係など社会で一番大事なエッセンシャルワーカーと言われるとても大事な職業をされている方々が、本当に休みなく働いても大変で、それに見合う給料も貰っているとは言えない、そんな大変な中で頑張ってらっしゃるということをよく聞きました。
一方、高齢者の方々が心配されているのは、今は動けるけど動けなくなった時に誰が助けてくれるんだろうということです。
自分もそうですが、まだ健康なのですぐにはピンと来ないかもしれませんが、いずれ私たち全員が将来は高齢者になります。
皆さんそうでしょうけど、最期こそ楽しく元気にやっていきたいと思っているんです。
ところが、たくさんの問題があって、多くの方々が希望よりも不安の方が大きい。
実は、こういった様々な問題のほとんど全てにおいて、解決方法はあるんです。解決できるんです。
じゃあ、なぜ解決しないのか?なぜこれが解決できないのか?
仙台はまだまだ出来る!結構、私も出来る!!
本当に私は、自分が生まれたこの町がすごく大好きです。
東京にも住んだし、あちこち住んで、海外もあちこち行きましたが、結局、自分の子供は田舎で育てたいと思って、田舎の仙台、秋保に戻ってきました。
この大好きな仙台、ここはまだまだ出来るんです。
今も仙台すごくいい街で、私も大好きですが、まだまだ出来るんです。
年間の予算は1兆2000億円。
「お金がない」「お金がないから廃止します」という話がよくありますが、実はよくよく見れば、仙台市にはお金が十分にあります。
私は会社を経営してましたが、1兆2000億円も予算があったら、何でも出来ます。
お金はあるんですが問題は使い方です。これを直すのが政治の役割。
使い方を決める人たちの利権とか、ご都合とか、しがらみとか、定年した後の天下り先への忖度とか、自分のことを中心に決めてお金を使っちゃったら市民に回ってくるのが一番最後になってしまうんです。ここがダメなんです。
この素晴らしい仙台市、大好きな仙台市はもっと良くできます。
私にはアイディアもあるし、皆さんが思うよりも結構、私できるんです。
20代から200億円の会社の営業部長でやってまして、20代から私もまあまあ年収はあったんですよ。あんまり言うとやらしいんですけども。
私は結構できるんです。アイディアもあります。実際やり方も知っています。
1つ例を挙げれば、JR南仙台駅という駅があります。
高架化、線路を道路の上に通すことによって様々な問題が解決できるんです。
当然、踏切がなくなるので、渋滞も改善できます。
踏切事故とか安全性の面でも解決します。
今は西口に改札がなくて、階段を上って東口に行って東口から乗るというところもありますが、これも解決します。
線路で東西が分断されて片方は発展し、もう片方は遅れちゃうということがありますけれども、これも改善します。
人と文化、お金の交流が良くなります。
町の活性化にもつながります。
ところが、これはお金がかかる理由で何十年もできていない。
1kmの工事に153億円かかると仙台市は言っていましたが、実はよくよく調べると53億円で出来ることが分かったんです。1/3で出来ます。
一方で、仙台市は音楽ホールを作る予算が128億円だったんですが、これが膨れ上がって350億円になった。132億円増えたんです。
この増えた分だけで実は3kmぐらい工事ができる予算になるんです。
350億円あったら7km、これで全部を高架化できる。
ほら、夢ではないんです。現実的なんです。
私は夢を語ってるんじゃないんです。
仙台市の戦後初代の市長は、岡崎栄松さんという秋保町の出身の方で、彼は当時、戦後の復興の中で、広い道を作ると言って広瀬通りを作ってくれたんです。
お金もない何もないところで復興しようとした時、「こんな広い道、飛行機でも飛ばすのか?」とバカにされた。ところが、今どうですか?
広瀬通りがすごく大きかったおかげで、仙台はすごく綺麗な緑と都会がうまく融合した街になった。
そういった未来を見る力はすごく大事ですね。
私たちは目の前ばっかり見てると、知らない内にだんだん尻すぼみになっていくんです。
私たち参政党はそうではない。先を見てるんです。
おかしい事を諦めない!みんなが諦めても諦められない!
皆さんは今のままで良いんですか?
今のままで良いんだったら、今まで通りの政治をやってもらったらいいんです。
私は本当に悔しいし、悲しいし、そして怒っているんです。
子供たちのいろんなチャンスが奪われ、働く人たちが本当に苦労しているんです。
おじいちゃん・おばあちゃんが不安なんです。
私たち参政党が求めているのは、普通に働いて豊かになって幸せになって安心して暮らせる事だけです。
利権とか、名誉とか、しがらみとか関係ないんです。
私の性格もそうですが、言ったことはやらないと気が済まない、おかしいことは変えないと我慢できない。
私たち参政党は常識に挑戦している、そういった集団かもしれません。
みんなが諦めていることを諦められない。
地球は太陽の周りを回っています。これは変わらない事実。
反対に、太陽が地球の周りを回っていると多くの人が信じていましたが、実際は違います。
同じように、私たちがやっていること、いろいろ間違っていると言われても、これは国民運動として広がっていくんだと確信しています。
本当に私たちは小さい声なんですが、実はこの声が集まるとものすごく大きな力になります。
これが今、私たち参政党が立ち上がった理由です。
私たちは決して無力ではありません。
これからこの大きな流れをさらに大きくするために、頑張っていきたいと思います。
是非この素晴らしい日本を、大好きな故郷 仙台市を、もっと素晴らしくしたいので、皆さんご協力をよろしくお願いします。
理想を追う農家さんを応援!(参政党とは関係ありません): 自然農園MITU(宮城県 仙台市)
栽培期間中、化学農薬を使わずに野菜を育てています。
野菜を食べるヒトには、自然栽培で育った健康な「旬の野菜」を。畑に来てくれるヒトには、体験を通してあなた自身の「何かが変わるきっかけ」を。
東日本大震災の津波によって何もかもが失われた場所、見上げた夜空には今までたくさんの星。”見えない時”こそ見えるモノがある。それはとても小さくて、しかしとても強い力を持っているのかもしれません。私たちは野菜に見えない力を求めています。
農業をして自然の中に身を置くことで、採れたばかりの野菜を食べることで、心も体も満たされ、元気になっています。 この経験をあなたにも届けたい。
農家だからこそ作れる「確かな価値」をお届けします。
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