マスコミでは世の中変えられない。政治が変わらないと 【後藤清安 青森県(青森市)】

後藤清安 青森県参政党の仲間たち(立候補者)
参政党の仲間たち(立候補者)

尚、このコンテンツは、 氏が街頭演説で訴えた言葉を整理したものです。

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令和5年4月9日投開票
https://small-things-make.com/gotouseiann-aomorikenn/2023/03/28/

「地元じゃない地方選挙でも何かできることはないか?」という想いから、当コンテンツをつくっています。

ただし、文章だけで実際の街頭演説は表現しきれるものではありませんし、文章に整理したために氏の真意とすこし違っているかもしれません。

また、非公式のためご本人の確認は得ていません。

尚、関係者の方からご意見があった場合には、速やかに修正・削除も含めて対応しますので、ご連絡いただければ幸いです。

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青森を離れた30代、希望を失ってしまった

青森放送に8年間所属をしていました。

私は東京の下町出身ですけれども、青森にどっぷりつかって青森が大好きになりました。
2003年3月末に退社したんですけど、青森を離れたかったわけでは全くないんです。

その頃、ゴミのリサイクル問題を、住民の代表という気持ちでずっと追いかけて、市民が一生懸命分別したゴミをリサイクル工場で一緒くたにされている現実とか、そういう突っ込んだ取材をするようになっていたんです。

なので、「ジャーナリストとしてもっと成長したい」「報道の世界でもっと社会の役に立ちたい」という想いが強くなって、居心地の良かった青森放送を出てチャレンジをしてみようって退社したのが、ちょうど20年前なんです。

そこから、フジテレビのスーパーニュースのリポーターですとか、日経CNBCチャンネルの内閣府の番組ですとか、色々お仕事はさせて頂いてたんですけれども、そこでいろんな葛藤が生まれました。

青森放送にいた時よりも取材の自由度が全然ない。
「この原稿をこの事件現場で喋ってください」とか、「警察署前でこれ喋ってください」とか、これは私じゃなくてもいいなと。
虐待問題とかすごくシリアスな問題を扱っていたけれど、「これでは虐待はなくならないな」「イジメなくならないな」「マスコミの役割ってなんだろう?」って。
スポンサーの不祥事は報道しないっていう現実もありました。

そういういろんな葛藤を抱えながら、自分が何をしたらいいかわからなくなってしまったんです。
希望を見失った。「自分に何ができるのか?」「何がしたいのか?」を見失ってしまった。
それが30代の前半でした。

プライベートも、結婚しかけてやめたりだとか、プライベートも色々ありました。
女性は20代後半から30代にかけて色々ありますよね。
「結婚・出産問題どうするか?」「仕事をどうするか?」とか悩みますよね。
私も一人の女性として葛藤を抱えました。

女性としての幸せも、ジャーナリストとしてのキャリアも描けなくて、本当に生きているのが嫌になっちゃったんですね。
「なんか社会の役に立っている気もしないな」「親孝行もできてないな」とか色んな葛藤の中で、実は「死にたい」って思っていました。

外で仕事をしている時は、人前なので元気そうにしているんです。
けれども、行き帰りの電車の中では、人知れず涙が出てくるような精神状態でした。
お医者さんには行かなかったんですけど、診断を受けていたら、鬱って言われていたと思います。

「心療内科バブルっていう状況なのに自殺者が3万人を超えている」と報道する側でしたので、そういう治療が効果的ではないっていうことは分かっていたんです。

でも他に、どうやったら自分がもっと良くなるっていう情報がなかったんですね。

人生を取り戻せた、そこで得た情報を伝えたい

葛藤した数年間を過ごしていました。

東洋医学をかじってみたり、アロマをかじってみたりして、「心と体のバランスをどうやったら整えられるんだろう?」って情報を模索していました。

そして、本当に良質な情報と、人との出会いによって、私の人生を取り戻すことが出来ました。
尊敬する恩師との出会い、情報との出会いで、心と体のバランスがどんどん整っていきました。

「どうやったら人がもっと幸せになれるのか?」とか、「どうやったら人はもっと成功できるのか?」っていうことを学ぶようになって、それで良くなっていったんです。
「こんなこと学校で教えてくれなかったじゃない」「教えてくれてたら良かっったのに」って思いました。

マスコミで出来ないのなら、自分のフィールドで、縁のある人たちに「どうやったらもっと幸せになるのか?」「どうやったら人生もっと成功できるのか?」っていう方法を伝えたいって思いました。

青森の人たちへの溢れるほどの感謝「恩返しがしたい!」

「どうやったらもっと幸せになるのか?」「どうやったら人生もっと成功できるのか?」っていう方法を誰に伝えたいのか?

そう思った時、「やはり青森の人たちだ」という結論に至りました。

私は東京の下町で生まれ育って、フリーになった後はずっと東京に住んでいたんですけど、私のDNAは津軽なんですね。
亡き祖父は弘前の出身です。
31歳で戦死したその祖父のDNAが私の中にあります。
そういうことも要因としてあったかもしれない。

なによりも、8年間アナウンサーをさせて頂いて辞めた時に、多くの方々からお問い合わせを頂いたり、お手紙を頂いたり… その時の事が本当に忘れられないんです。
「後藤さんなんで出ないの?」とお問い合わせやお手紙を頂いたりして、こんなに青森の人達に応援して頂いてたんだなって。
「そんなに私のことを認めて下さっていたんだな」って。
社会人1年目で来て、成長させて頂いて、青森の人たちと8年間つながって、感謝が溢れて、「何かの形でいつか恩返しがしたい」って思ったんですよ。

「青森の人たちのためにお役に立ちたい」
「青森のもっと良い情報を伝えたい」
「青森の人たちのために何か情報を発信したい」

でもその時は、どうやって恩返しできるのか分かりませんでしたから、「もっと成長して、いつか何かの形で恩返しをする」っていう気持ちだけは持っていました。

青森への恩返し『loveaomori project』『楽習会』

葛藤を抱えて生きているだけで精一杯だったところから心と体が整ってきた時に、「自分が得たこの情報をやっぱり青森の人たちに伝えなきゃ」って、それで2009年から草の根活動を始めました。
もう14年になります。『loveaomori project』と言って、今、NPO法人になっています。

その時に思ったのは、青森の良いもの、食べ物もそうだし、『ねぶた』もそうだし、東京に行ってみると皆知らないんですよね。
一生懸命、青森の人たちも発信しているけど届いてない。

それもどうにかしたくて始めたんです。
でも、ビジネスの経験がない私がリンゴを売ったところで、雀の涙ほどの貢献しかできないなって。
それで、「最終的に目指したいゴールは何だろう?」ってその時考えたんです。

「みんなが経済的にも精神的にも豊かで幸福度の高い青森県を実現したい」
「物心ともに豊かな青森県を実現したい」

私が当時考えたのはそういうことだったんです。

昔から平均所得が低くて、自殺率が高くて、『短命県』で… これを逆転する。
青森から『地域最幸化モデル』をつくる。
『地域活性化』じゃなくて『地域最幸化』。
勝手に名付けたんですけど、地域が最も幸せな状態になる、そのモデルを青森からつくる。
そう決めて、2009年から活動しています。

そして、『楽』しく『習』うと書いて、『楽習会』というのを、東京から毎月毎月通ってずーっと行ってきました。
時にはセミナーや大きなイベントを企画したり、『ドリームプラン・プレゼンテーション』っていう、起業家を育成するプレゼンテーション大会でこれまで87名の起業家をサポートして参りました。

そんな仲間たちとつながって、みんなが縁ある人たちを幸せにしていくその先には、『物心ともに豊かな青森』を実現できると信じて、これまで活動してきました。

草の根活動では追いつかない… 青森の厳しい現実・立ちはだかる壁

周りの仲間たちは、経済的にも良好で、人間関係も良好で、幸福度が高くなっている人たちが大勢います。
コロナの3年間も、オンラインでイベントをしたり、色んなことをやってきました。

でも、青森県の現実はどうでしょうか?

特にコロナの3年間、平均所得はついに沖縄に抜かれて最下位になりました。
自殺率もついにワースト1位になりました。
そして、相変わらずの『短命県』。

私の周りには、社会に必要とされる事業を営んでいる仲間がたくさんいます。

例えば、無農薬のリンゴ農家さん、発達障害のお子さんを抱える親御さんとかそのお子さん達をサポートする事業を起業した人、産前産後のサポートをやっているNPO法人の代表…
自分の領域で青森を良くしようっていう仲間がたくさんいるんです。

けど、そこには制度の壁とか色々立ちはだかる問題があります。

今、一次産業も厳しいですよね?
無農薬の米農家さんからも色々ヒアリングしていますけれども、本当に法律おかしいなって思うことが沢山あるんです。

もう草の根だけでは追いつかない…。

やっぱり政治が変わらないと!青森から国民運動を!!

「マスコミは世の中変えられない。教育と政治が変わらないと、世の中良くならない」

私はマスコミにいた時、こういうある種の結論を持っていたんです。
とはいえ、政治のことはよく分からない、変わりそうにない、託したい人もいない。

だから、私は教育の部分をやろうって思ったんです。
ただ、文部科学省の管轄には何も出来ないから、「社会教育活動を通して豊かな人を増やしていこう」って、「それを青森からやっていこう」って言ってきたんです。
「誰かのせい」「行政が」「田舎だから」とかじゃなくて、「自分たちで良くしていこうよ」っていう意識改革と行動変容をずっとやってきたんです。

だけど、やっぱり…
「政治が変わらないと無理じゃないか?」
「法律が変わらないと無理じゃないか?」
「もう間に合わないんじゃないか?」

そう思った時に、出会ったのが参政党です。

まさに自分たちでゼロからつくる政党。
「私たちが今、立ち上がらないとダメだ!」と旗を立てて下さった。

本当に心から感謝しています。
本当に希望を与えてくれて感謝しています。

私がここに立つっていうのは、昨年の11月までは全く想像もしてなかったんです。
活動し始めて「後藤さん、無所属だったらもっと応援できるよ」って言われることも結構あるんですけど、それでは私は絶対ここに立てていません。

参政党というプラットフォームができたからこそなんです。

一人で出来ないことを組織でやる、仲間とやる、一緒に学ぶ、成長する、繋がる…

そうやって、私たちひとりひとりが強みを発揮して世の中を良くしていくというこの国民運動を、青森からやっていきたいと思って私は決意したんです。

皆さん、一緒に活動してください。

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第一部アメリカは日本での検閲をいかに準備していたか
第二部アメリカは日本での検閲をいかに実行したか
あとがき

『言論の自由』はアメリカに与えてもらった?

「日本は悪いことをした国だ」と報じるマスメディアは正しい?

戦後、アメリカによって徹底的に行われた『検閲』。
禁止されたのは… アメリカ・イギリス・ロシア・中国・朝鮮人への批判、神国日本・大東亜共栄圏・ナショナリズムの宣伝、第3次世界大戦への言及!?
そしてこの『検閲』の存在までもが…。

当時、戦争は終わったが、「日本」は目に見えず破壊されていった。
そして、タブーは今なお続き、さらなるタブーを生み続けていく。

この全貌とは?

占領されて70年以上… 真に解放されるまで本書は必読!

理想を追う農家さんを応援!(参政党とは関係ありません): 津軽クドウファーム(青森県 平川市)

津軽クドウファーム(青森県 平川市)
緑と水が綺麗な街で、令和元年に新規就農しました。
農薬には頼らず、自然のチカラを活用した農法を日々模索しています。

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